統失大学院生のしょーんな日常

どこかの大学院の博士課程に長々と在籍している統合失調症の患者が毎日どのように暮らしているのかご報告します。リハビリのためにできるだけ毎日書くことを目指します。

父親と別れて自分の声を聞く

こんにちは。

今日は突然寒くなって、頭も痛いし布団で丸くなっていたら眠っていて、起きたら14時でした。

私の部屋はいちばん北で日当たりも悪く冷えるのですが、やっぱりそこしか居場所はないです。寒いとつい布団に入ってしまうので、暖房をけちってはいけないなと思います。

部屋にWi-Fiが届かなくて、普通にスマホを使っていたら速度制限になってしまいました。指導教官とZoom面談とかするかもしれないし、中継器を導入することにしました。ちゃんと設定できるかな?

 

午前中はちょっと嫌な気分でした。

父親が何の気なしに嫌なことを言うのです。自覚はなく、自分ではこの上なく優しい父親だと思っているみたいです。

とても喋るのが上手で説得力があるので、子どもの頃は父親の言うことを金科玉条のように思っていました。黙って働いている母をばかにしていたかもしれません。

 

 

壁にぶち当たるたびに父親の説教というカンフル剤を打たれてがんばる、というのがお決まりのパターンでした。

それが効かなくなったのが修士の時、病気になった時でした。鞭で叩かれるようなこんな人生は嫌だと心から思いました。

以来父親とは少し距離を置き、説教を避けています。

本で読んだことや考えたことを話す「演説」はときどき聞いています。

 

この間うっかり薬のことを相談したら、関係ない精神論的なことを30分以上話されて、やってしまったなと思いました。

とても嫌な気持ちになったのですが、母から聞くに父親は元気の出るいい話をしてやったと思っているそうで、ますます距離を置こうと心に決めました。

 

口から生まれたような人ですが、心は優しすぎるくらい優しく、いい人です。(その異常な「優しさ」にまた苦労させられるのですが。)おもしろい話で食卓を盛り上げてくれるのも事実です。

今はそれとなく距離を取ることしかできませんが、これからだんだん良い付き合い方ができるようになるんじゃないかなと期待しています。

以前は父親の言うことが全部正しいと思って、それに反することをとても恐れていましたが、今は父親の言うことを無視したり、こっそり反対したりすることに小さな喜びも感じています。

私の人生が間違おうと失敗しようと、自分で決めていこうと思います。

 

父親との関係は間違いなく発病の一因だったと考えています。それまでの親子関係では(またそれは私の生き方でもあったのですが)もうやっていけない、と心が言っていたんだと思います。

病気になって10年が経ち、父も以前のように私を鍛えようとはしなくなりました。それまでは喝を入れてみたり慰めてみたり散々試みていましたが、今はもう(私が藪蛇をしない限りは)黙って見守ってくれています。

父親の言うことを聞かないのは怖いです。全部決めてほしいと思っていました。

でもこれからは父親の声ではなくて自分の声を聞いていこうと思います。

 

私の場合、自分の声が聞けるようになることも、病気が「治る」ことでしょう。

病気と付き合いながら、病気ばかり見ないで、人間としての自分を成長させていきたいと思います。