統失大学院生のしょーんな日常

どこかの大学院の博士課程に長々と在籍している統合失調症の患者が毎日どのように暮らしているのかご報告します。リハビリのためにできるだけ毎日書くことを目指します。

悩むのお休み

こんにちは。

今日は生理で寝てるしかないです。寒いと腹痛と手足の冷えが堪えます。

あと生理の時はすぐに目が疲れてしまいます。だから本当はスマホを見ない方がいいんですけど、暇で…。せめてブログでも書くかってここに来ました。

『滑走路』を読んだ感動を書きたいんですけど今日はその日じゃあないな。

 

 

代わりにふと思ったことを書き留めておきます。

 

机を見てみると、病気になってから10年間、本を読んだりネットで調べたりしていろんなことを探し求めていた記録があります。

やりたいことを見つけるにはとか、

諦める力とか、

メンタルブロックとか、

自己肯定感を高める方法とか、

たくさん調べて、いろんなワークをやった形跡があります。

自分を解放するというセラピーにも行きました。

キリスト教の黙想会に参加して、答えが与えられるように祈りもしました。

 

そうやってがんばっても、何もピンと来る答えは見つかりませんでした。

いくら本を読んでもやりたいことは分からないし、自分のことは嫌いだし…。

特にこのまま研究を続けるべきなのか辞めるべきなのか、ということをぐるぐる考えていました。

合わない道に進んだから病気になったんじゃないかと思っていました。

自分はこれからどうするのが正解なのか教えてほしいと思っていました。

 

本当に、去年まで思っていました。

 

でもなんか今、「どっちでもよくね?」と思います。

気が向いたらやってみて、無理なら無理で別の扉が開けるでしょ、という気持ちです。

研究への変な憧れや執着が自然と消えました。

研究云々より自分の方がよっぽど大事って思います。

自分が好きです。今の自分に結構満足しています。

もっと本が読めたいし、記憶力も良くなりたいし、要領よくなりたいですけど、だからって自分を責めません。

文学がやりたいです。結局これがやりたいことでした。

 

また悩むかもしれないけど、今はすごくリラックスしています。

 

訳がわからないままいつのまにか楽になっていたので、「時が解決した」と言われればそうかな、と思います。

でももがきにもがいたことも無意味ではなかったと思います。

ただ時が来るまでは答えが与えられなかったのでしょう。

(または、薬が変わるまで?病気が良くなるまで?分かりません。)

 

なんか、どうでもいいやと言うか、どこを向いて進んでも私は大丈夫、というのんびりした気持ちです。

むしろ何でもやれて楽しそう!と感じます。

 

状況は何一つ改善していません。

相変わらず薬を飲んでいて精神障害者手帳も持っているし、

博論は一文字も進んでいないし、

むしろ歳は取ったし、

職歴はないし、

親の世話になっているし、

経済的な安定の当てもないし、

お先真っ暗と言えば真っ暗なのです。

 

でもなんか、能天気になってしまったんですよね。

また博論に取り組めば具体的な悩みが出てくるでしょうけど、この先の人生どうすれば…みたいなことは考えなくなりました。

解決したわけではなく、気にならなくなっただけです。

考えるのに飽きたのかな?

1日1日を無事に過ごせれば、別にいいじゃんって。

 

プライドがなくなったとか、ある程度歳をとって諦めの境地に入ったとか、変な人になってしまったとか、そういう可能性もあります。

それを以前はすごく恐れていた記憶もありますが、こうなってみたら悔しくもなんともないです。

悩んでいる間は、悩んでいればぎりぎり望んでいた「正しい」人生航路に指一本でぶら下がっていられるって感覚があった気がします。

そこからは落っこちたのかもしれません。

でも落ちてみたら、「床ふっかふかやん!!!」とびっくりしました。

 

若い人たちはこんな私を憐れみつつエリートコースを行くのかもしれません。

でもなんか、ふっかふかの床も悪くないです。

 

何も悟ってなんかないので、また同じようなことで懊悩するかもしれません。

今だけちょっと安心で気楽でハッピーです。

昔の自分がこれを見たら嫌かも。

でも散々苦しんで、心が楽ってことが何より素晴らしいとしみじみ思うので、今を受け入れていきます。

 

また新たな悩みを悩み始めるまでの束の間、この平和を噛み締めます。