こんばんは。
今日は研究会を欠席しました。
今月はうっかりしていて日程を知らず、誰にも相談できなかったので、昨日からひとりで考えていました。
そして、「よし、30分だけ出よう」と決心したのですが、やっぱり研究に触れることが怖くて、嫌な気持ちになって。
それで、「研究会ってそんな悲壮な決意で出るものか?」と思い直し、欠席しました。
研究のことになるとすぐ悲壮な感じになる、というのをまたやってしまったなと思いました。
『かがみの孤城』でスクールの先生が「闘わなくていいんだよ」と主人公に言った時、主人公は深く癒されたのですが、私は「騙しだ!」と感じました。そこだけは賛成できなかったのです。
でも、今自分の問題に向き合って、「闘わなくていいんだよ」という言葉がふと思い出されました。
たしかに私はどうして闘っているんだろう?本当に闘わないといけないのか?と疑問に思いました。
しかも、闘えば闘うほど、研究が怖い、研究に触れると嫌な気持ちになる、という問題は大きくなっていくことに気がつきました。
私は妖怪が大好きなのですが、見越し入道というのがいます。
夜道で出会って見上げれば見上げるほどどんどん大きくなっていく妖怪なのですが、見上げるのをやめて、「見越し入道みーこした」と言うと消えてしまうのです。
見上げ続けて後ろに倒れてしまったら取り殺されるのですが、肝を据えて見下ろす格好になると小さくなっていき、簡単に退治できます。
なんか私の問題もそういうものなのかなーとふと思いました。
問題に真面目に下からぶつかって行って倒れて、を繰り返してきました。
そのたびに相手は大きくなっていたかも。
もう闇雲にぶつかって行くのはやめないといけないと思いました。
健康な友達は、嫌なことは無理矢理取り組んでやっつけるしかないんだ、と言います。逃げるたびに恐怖が大きくなると。
でもそれは心身ともに健康でないとできないことじゃないかと思います。
それをやりすぎて病気になってしまったと散々言われてきました。
正直どっちが本当なのかは分かりません。
研究から逃げたから苦しくなったような気もするし、人生全体で見てがんばりすぎていたような気もします。
だからちょっと迷っています。
でも無理矢理やる方法は実際今までうまくいかなかったのです。
無理矢理(というかやる気満々で)研究に取り組んで、なんか悲壮な感じになって、視野が狭くなって、また具合を悪くして、というパターンでした。
どうせ病気になったのだから、苦しいことをするのはもうやめよう、と思います。
それが研究を諦めることになるのかは、まだ分かりません。
とても嫌なことだけど、とてもやりたいことなのです。
こういう葛藤は、本やネットなどを見ても解決しませんでした。嫌なことはやめろ、やりたいことをやれ、と書いてあります。
だからもう少しもがかないといけないんだろうなと思います。
苦しいことはしない、という前提で、もし研究が苦しくなることがあればうれしいなと思います。
そうでなければ他の道がきっと見つかります。
甘いかもしれませんが、10年苦しんで、ちょっとくらい変われることがあってもいいんじゃないかと思っています。