統失大学院生のしょーんな日常

どこかの大学院の博士課程に長々と在籍している統合失調症の患者が毎日どのように暮らしているのかご報告します。リハビリのためにできるだけ毎日書くことを目指します。

諦めて生きることにした

こんばんは。

 

今日はなんか……気づいたことがあります。

うまく書けるかわかりませんが。

 

3日前くらいに、死んで楽になるっていう選択肢はないんだなって自分の中で思って、2日前くらいに気晴らししながら耐えていくって決めたんですけど、それがどういうことだったのか、なんとなく分かってきました。

 

首を吊るのが悪手なら、何をしてでもそれを避けなきゃ、限界が来ないようにストレス発散しなきゃ、と思って、いろんなことを楽しむようになったんです。

ごはんをおいしいなって味わって食べたり、欲しいものを買ったり、テレビを見て笑ったり。

今までそういうことを積極的にしたことはなかったのです。

でも努めて快いことをして、つらさが溜まっていくのを逃がさないとと考えました。

 

それは最初は新鮮で、良いことに思えました。

初めて積極的に人生を楽しもうとしているなと。

でもなんだか、それをしていると悲しくもなるのです。

 

それはどういうことかと考えました。

 

それで、今までは「注射が嫌だからお菓子を食べない!」と言って生きていたのだと気がつきました。

「注射を頑張ったらお菓子をあげるよ」だなんて誰も言っていないのに、お菓子に釣られたら注射をしないといけなくなるんじゃないか、また、お菓子さえ食べなければ注射を避けられるんじゃないか、と漠然と思っていました。

それは私の勝手な取引で、どうしたって注射は避けられないんだと3日前に気がついたようです。

人生のつらいことは、楽しいことを我慢しようがしまいが関係なく襲ってくるし、避けられない。

どのみち注射されるのなら、お菓子は食べた方がいい。

そういう悲しいお菓子なのです。

 

33年生きてきてやっと、人生に両足を突っ込んで生きるって決めたみたいな気がします。

とても不安で、逃げ出したいです。

 

でも注射とお菓子は私の勝手な思い込みで、そんな取引はないのかもしれません。

ただお菓子をくれているのかもしれないし、注射も嫌々受けてみたら案外痛くないのかも。

どうして自分がこういうイメージを持っていたのかなと不思議です。

 

今はまだ、人生を楽しむことに抵抗を感じます。

何かを諦めている感じがします。

嫌な仕事を続けながら、週末にお酒を飲んで憂さを晴らして、また月曜日に仕事に行くような。

仕事は辞められないんだな、みたいな。

こういう根本的解決にならない気晴らし、のようなものをとても嫌っていました。騙されるもんか!と。そして週末もつらいことをにらみ続けて。

でもきっと気晴らしってすごーく意味のあることなんですね。

 

逃げられないこの世で何をしていたらいいのか、きっとこれから考えます。