こんばんは。
金曜日から疲れていて、昨日の夜は爆発してしまいました。手術とかしなくちゃいけないならもう生きたくないと思って泣きました。生きがいとかもないし、なんで生きていなきゃいけないのか。もう十分生きたし、もう体を維持できないと思いました。でもまあ夜の薬を飲めば寝るので、今日も生き延びています。でも相当しんどいです。
今日はのんびりしていて、同居人はささげを漬けています。ささげ(長い豆)はメルカリで広島の農家さんから買ったもの。漬け込む液を作るときに「2リットルの5パーセントは何グラム?」と聞いてきて、私が元気よく「10グラム!」と答えてしまったので、とても薄い液ができました。あとから1桁間違ってたことに気がついて、塩を買いに行って追加しました。ささげの漬物はおいしい中華炒めになります。今年も食べられて嬉しいです。
最近、何を信じて何のために生きたらいいか困っています。キリスト教の信仰が揺らいでいるのもあります。神がこんな目に遭わせているんなら、同じ神に祈ってどうなるだろうと疑問です。主は与え、主は取り去ると言われますが。今はどうしてこんな目にと言うことしかできませんけど、本当は頼りたいのです。愛されていると信じられたらいいのになあ。
これをするために生きていると思えることもなくて、宙ぶらりんです。楽しいことはもちろんあるのですが、そんなことはなくてもいいから楽になりたいと思って悲しくなります。ちょっとメンタルの調子が悪いのでしょうか。別に生き延びなくてもいい、早く楽になりたいと思います。体に何かされるのは私にとって耐え難い苦しみです。
手術をして子宮を取っちゃえば、生理もなくなって楽になるからちょっとの辛抱だよと言われますが、ちょっとの辛抱でそれより根本的に楽になれる行為もあるのです。手術よりも首を吊るほうが怖くないのはやはり異常だと思いますが、私はそうです。それでも耐えなきゃいけないことが生きていればあるんですねえ。
もしも自死してしまったら、メンタルの管理がうまくいかなかったということだと思います。うまくバランスを取って手術台の上に乗れれば大勝利。生きているのって本当に嫌です。素晴らしい体験もたくさんありますが、そんなことでちゃらになると思うなよ。