統失大学院生のしょーんな日常

どこかの大学院の博士課程に長々と在籍している統合失調症の患者が毎日どのように暮らしているのかご報告します。リハビリのためにできるだけ毎日書くことを目指します。

よい決断、よくない決断?

こんばんは。

 

こんなブログのこんな私たちでも、見守っていてくださる方々がいるんだなとうれしいです。

昨日の恋人は、正式に退職を決めて、決断したストレスで憔悴していました。「今日はフルコースだから」と宣言して、ちょっと高い居酒屋に飲みに行き、セブンでエクレアを買い、夜遅くなったのにゆっくりとお風呂に浸かりました。なかなか自分を守るのが上手だなと感心しました。これはストレスコーピングというやつではないでしょうか。そんな言葉は知らないと思うけど、自然と自分の機嫌を取れていてえらいなと思いました。

 

ただし、自分で決断したことはみんな裏目に出る、と愚痴は言います。今回もきっと後悔するだろうと悲観的です。人生でよかった決断は私を選んだことだけ、などと言っていました。それはうれしいようなかわいそうなような。

そんなに間違った決断ってあるかなと思って、今朝妹に聞いてみました。イタリアに留学していた時に一人暮らしすればよかったかな〜という呑気な答えが返って来ました。逆にこれはよかったという決断は、フルートを習い始めたことだそうです。それも意外でした。今更遅すぎると思わずに音楽と関わりを持ったことが人生を豊かにしたようです。

私は何かと聞かれましたが、まだ何も結果が出ていないから、どの決断もよかったか悪かったかわからないよと言うしかありませんでした。病気になってしまったから、大学院に進まなければよかったとは長らく思っていました。でも今は本当に悪かったか保留にしています。よかった決断は、ブログを始めたことかなと思いました。書くことを自分に許すきっかけになったと感じています。これも決断にも思えないような小さなことですね。

 

午後はひとしきりやりたくないと騒いでから、しぶしぶ自分の書いた原稿を読みました。読んでみたらそんなにつらいことはありませんでした。磨く価値がある!とは思わないけど、一応少し手を加えました。恋人は不思議がっています。自分で書いたものが大好きなのですって。自分で作成したWikipediaの記事を100回は読んでいて、毎回なんていいんだろうとほれぼれすると言っていました。

私は昔から自分の書いたものを粗末に扱ってきました。レポートを書き終えたら、もう見たくないから推敲もしないで提出したり。恥ずかしくて、自分が書いたということを受け入れられなくて、逃げてきました。いつか大学院の先生が、書くということは自分の書いたものに責任を持つということだと言っていました。恥ずかしくても、こんなのゴミじゃんと思っても、自分の書いたものは一生自分に紐付いているんだと思って向き合いたいです。読んでくれる人に失礼にならないように。