統失大学院生のしょーんな日常

どこかの大学院の博士課程に長々と在籍している統合失調症の患者が毎日どのように暮らしているのかご報告します。リハビリのためにできるだけ毎日書くことを目指します。

『夜と霧』には感謝しています

こんばんは。

 

今朝も散歩できました。雨の降らない日は続けたいです。セロトニンを出したいので。

睡眠のための薬はいろいろと飲んでいますが、果たして自分が本当に眠れなかったのか、もう11年も前のことなので忘れてしまいました。たぶん眠れなかったのでしょう。数年前に依存の可能性がある強めの薬からベルソムラに変えた時は不安でしたが、今もよく眠れています。クエチアピンも入眠のために飲んでいます。

 

また洗面台が詰まってしまい、恋人がもう引っ越そうよと言います。私はこの家に慣れているし、人と暮らすことが想像できなくて怖いから渋っています。家族にも相談してみます。当面はまた業者さんに頼んで修理してもらうしかありません。ネットを置いたりして気をつけて使っているけど、古いからどうせすぐまた詰まりますよと前来てくれた人も言っていました。

 

午前中は妹と電話したり本を読んだりして過ごしました。とりあえず専門関係の新書を1冊読めるようになろうと思ってがんばり始めました。ちょっとは元気が出てきたのかな。がんばるあてができたから元気が出るのかもしれません。

午後は頭痛がしたので薬を飲んで眠りました。まだちょっと痛いけど、ブログが書けています。

 

なんか少し調子が上向いてきた気がします。最近は健康診断と、妹に会ったことで疲れていたようです。単価が安くて楽そうなライティングの仕事に挑戦してみようかという気も出てきました。でも気をつけないと、いろんなことに対するやる気が一気に戻ってくるので、大事なことを選ぶ必要があります。

 

同じ統合失調症の友達に、私たちは結構つらい思いをしたよねと言ってみました。友達は今もつらい(笑)と言っていましたが、病気のせいで20代はすかすかだったけど、今後幸せで密度の高い時間がやってくるかもしれない、それがきっと人生のメインなんだよと励ましてくれました。いつも前向きでえらいと思います。いくらかのつらさとはずっと付き合っていかないといけないかもしれないけど、自分の意志で歩いていると思える日が来るといいなと願っています。

 

病気がもっとつらかった時、いろんなメンタルの本も読んだけど、いちばん心に響いたのは意外にも『夜と霧』でした。アウシュヴィッツの人と同じだけ苦しかったとは思いませんが、苦しみの質がとても似ていて驚きました。苦しみってひとつなのかもしれません。どん底で、とことん苦しい、その中からどんな人が生き残って誰が死んでいったのかが書いてあって、自分に引き付けて考えられました。

 

 

(暫定的な)ありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的をもって生きることができない。ふつうのありようの人間のように、未来を見すえて存在することができないのだ。(119)

これをノートに書き留めた時、病気がいつ終わるかわからなくて、目的を持ちようがないことに苦しんでいました。今もまだ未来はわかりませんが、病気を抱えつつも目的をもって生きることがやはり大切なのだと思い出せました。目的がなくて当たり前と慰められることもありますが、私はそれはつらいと感じます。自分なりの目的をもつ勇気を出します。