統失大学院生のしょーんな日常

どこかの大学院の博士課程に長々と在籍している統合失調症の患者が毎日どのように暮らしているのかご報告します。リハビリのためにできるだけ毎日書くことを目指します。

病気になったから小さな幸せに気づけるようになった?

こんにちは。

今日は寒さも緩んだのか暖房がよく効いて、暖かく過ごしています。

すると調子もいいようです。

 

今年で病気になって10年目です。

もういいだろうと思うのですが、10年苦しんだからもう解放してあげようというようなことは病気にはありません。

病気は人ではないのだから、そんな情け容赦はないのです。

 

だからこれだけ苦しんだから幸せが待っているはず、とかそういう考え方もしなくなりました。

苦しみはただそこにあり、意味はないと思います。

流れとかそういうものもなく、ただぶつ切りの現実がずるずるべったりと続いていくだけなのだと。

 

大きな苦しみが大きな幸せで報われるということもないと思います。

これだけたくさんの人が何十年も精神病で苦しんでいるのですから。

自殺する人もたくさんいるし、苦しんだまま死んでいく人も多いと思います。

それか、精神病患者に許されたささやかな達成や安心を得るのでしょう。

 

私は病気になって、この苦しみさえなくなれば、どんなに幸せだろうと思っています。

病気をすると幸せのハードルが強制的に下げられるのだと感じます。

「病気をしたおかげで小さな幸せに気づけるようになった」という言説をよく見かけます。

それも素晴らしいことなのでしょうが、なんだか騙されているような気にもなります。

大きな幸せが失われたのに、それを忘れるように仕向けられているというか。

人生に期待しないように、慎ましく生きるように洗脳されているような気がします。

私たち精神病者だって、人生に大きな喜びを期待してもいいんじゃないかと言いたくなります。

 

幸せの大きさなんて測れませんが、この苦痛さえなくなってくれればもう贅沢は言いません、と神に願っている自分がすごく弱気で卑小なものに思えます。

病気は容赦してくれませんが、それでも私は人生に大きな喜びを請求していきたいと、時々思うのです。

 

『こころの元気+』のような当事者の雑誌を読むと、病気で苦しんでいる人たちが自分のできる範囲で少しでも元気に、幸せに、と頑張っている姿がわかります。

それは素晴らしいことです。

でも、どうしてこんな人たちに、もっと素敵な人生が与えられないのかと思います。

病気になったからといって、私たちは人並みに幸せになったり、自己実現をしたりする権利を奪われるのでしょうか。

小さな幸せを数えて生きていくしかないんでしょうか。

 

私は贅沢を言っているのかもしれません。

小さな幸せこそが人生において大切なのかもしれません。

でもこれだけの苦しみの代償が、ご飯が美味しく食べられるとか、今日は少し調子がいいとか、そういうものなのかと思うと納得できません。

苦しみに対価を払ってくれる存在なんてないのは分かっていますが。

 

まだまだ修養が足りないからこう思うのかもしれませんが、今の正直な気持ちです。